『陽春に白雪降れば到るところ』 著:かなみ イズレーン皇国の辺境に位置する小さな町がある。 別段名所があるわけでも無かったが、国境を超え首都イズルミへ向かう際に必ず通るとして、宿場町としての賑わいを見せていた。 「…ふぅ、ちょっと荷物増えすぎちゃったかなっ」 そんな人の往来が多く喧騒が飛び交う中を、白く大きな帽子を揺らしながら歩くアニエス。 「でも、久しぶりに色んな人に会えて良かったっ」 首都イズルミへ赴き、久々に仲の良い人たちに会ってきた帰りだった。 腕には道中で買ったらしい土産袋がいくつも下げられていてやや重そうではあったが、本人はご満悦のようだ。 「雪慎さんと、吹雪さんと、シーナさんと、ユイネちゃんと…うん、あとはシアちゃんのだねっ」 確認するように口に出しつつ、目を走らせ確認する。 「…あ、こっちにもお店あるんだっ」 街の中心を走る街道から、街の裏手に回る道。そこにも露店がいくつか並んでいた。 怪しげな装飾品から、一見すると食料なのか何かの儀式に使うのかわからない小動物やら、様々な物が目に留まる。 入る道を間違えたかと思いつつ歩を進めていると、一番奥まった所にフードを目深に被った主人の刃物屋を見つけた。 そこには家庭用の包丁から、魚を捌くものから山菜採取用まで様々な物が陳列されていた。 足を止めそれらを眺めていると、ふと、主人の横に立てかけられていた一振りの刀に目が留まる。 「…あの、それは」 視線で刀を捉えつつ声をかける。 「…これは、売り物ではないんだ」 相変わらず表情の見えないままのフードの中から、男の声が帰ってきた。 「あ、そうなんですか。ごめんなさいっ」 やや残念そうにしつつ微笑むアニエスの目をじっと見つめる男。 「…あの、何か…?」 「…刀を持って戦場に行くようには見えないが」 アニエスの見た目から、刀に興味を示すようには見えなかったのだろう。 しかし、そんなものより別のものを見ているかのようだった。 フードからちらりと見えた目は、見るものを刻むような鋭いものだったが、その輝きはどこか清廉なものに見えた。 「あ、えっと…友達…いえ、親友が刀使いなので…」 その視線に悪いものを感じなかったので、こちらもじっと目を見返しつつ返す。 「…………」 「………あの?」 瞳の奥にある物を見透かすかのように、長く見つめる視線。 その視線に居心地の悪さは感じなかったが、単に長く続いた沈黙が気になった。 「…ああ、すまない。若いお嬢さんをあまり見つめるものでもないな」 「あ、いえ…何か、ありましたか…?」 その言葉に応えず、何かを考えているようだったが、しばらくして傍らに置いてあった刀を手に取り抜き放った。 その刀身は、通常の鋼の輝きよりもやや白みがかり、照り返す陽の光がきらきらと輝いていた。 「…綺麗」 素直に、そう想った。 「…この刀はな、まだ銘が無いんだ。お嬢さんがつけてくれないか」 「え…ええっ?」 突然の申し出に困惑する。 「そんな、大事なこと……」 手をひらひらさせ慌てふためくアニエス。 「そんな気負わなくていい。もし、お嬢さんがつけるなら…という程度のものでいいんだ」 「え、えぇ…と」 想ってもいなかった言葉に、だが、真剣に悩み始める。 その姿を男は怒るでも微笑むでもなく、ただ見つめていた。 しばらくして、アニエスが頷き一つ、口を開く。 「…白雪。白雪っていうのは、どうですかっ?」 「…なぜ、そう想った?」 「刀身が白く、太陽の光が反射するのが、なんだか雪景色を見ているようで…あと…」 「…あと?」 「きっとこれを打った人は、お花とか緑とか風とか雪とか…えぇと、自然が好きな、心が綺麗な人なんじゃないかなってっ」 えへへ、とやや恥ずかしそうに微笑みながら言う。 その様を見ていた男が、不意に笑みを漏らした。 「…お嬢さんは、良い心の色をしているな」 「え、そ、そうですか…っ?」 「ああ。 …いいだろう、この『白雪』、お嬢さんが持って行ってくれ」 そう言って、刀身を鞘に収めアニエスへと差し出す。 「え、そんな…売り物じゃ」 「いいんだ。売り物じゃないと言ったのは、金で譲る気は無かったからさ。お嬢さんが親友と呼ぶ相手ならば、きっと持つに相応しいだろう」 戸惑いつつも刀を受け取るアニエス。 「でも…いいんですか?」 「その瞳を見ればわかるさ。お嬢さんが、お花とか緑とか風とか雪とか好きなんだと言うことがね」 齢60を越えてはいそうな皺が深みがかったその顔は、妙に生気に満ち溢れた笑顔を携えていた。 「ただいまもどりましたっ」 セフィド神聖王国の首都にある、雪慎らが拠点にしている一室。 その扉を開け元気よくアニエスが入ってきた。 「お帰り、アニー。大丈夫だった?」 待ちかねていたかのように、即座にアリシアが迎えに出てくる。 「シアちゃん、ただいまっ。うん、大丈夫だったよっ」 「一緒に行けなくてごめんね…」 「ううん。突然のお仕事だったもんね。仕方ないよっ」 荷物を下ろしつつアリシアに笑顔を向ける。 「あれ、みんなは?」 「買い物とか、用事があるとか…私は、そろそろアニーが戻ってくるかと想って」 恥ずかしげに視線を外すアリシア。 「そっか、ありがとっ」 そして下ろした荷物の中から、一振りの刀を取り出す。 「はいシアちゃん、これっ」 「これは…」 群青の鞘に収められた一振りの刀。渡されるまま抜き放ってみると、白く輝く刀身が姿を現した。 「…綺麗」 その輝きに見惚れつつ、アニエスと同じ感想を漏らす。 「イズレーンの国境越えた所に宿場町あるでしょ?あそこに居た刃物屋さんから貰ったのっ」 「貰ったって…何があったの」 「私もよく分からないんだけどね。私の目を見て、名前をつけてくれって。で、名前をつけたらこれをくれて…」 思い返すように宙に指を彷徨わせながら言う。 その姿を見て微笑みながら、再び刀へと視線を戻すアリシア。 「なるほど…それで、この刀の銘はなんていうの?」 「えっとね…『白雪』」 「白雪か…いい名前だね」 「雪景色みたいに綺麗だったから…それに、吹雪さんも雪慎さんも雪だし…なんて」 「それに、アニエスの綺麗な白い心も入ってる、かな」 お互い言ってて恥ずかしかったのだろう、頬を染めて笑い合う。 イズレーン皇国の辺境に、ひとりの刀匠が居た。 半ば世捨て人のような生活をしつつ、気まぐれで刀を打っていた。 その出来栄えは素晴らしかったが、数年に1本打つかどうか、持ち手を選ぶ気質。 加えて、かのイズレーン皇国当主ソウガの刀を打ったとして、様々な噂を呼んだ。 曰く、竜の吐息を精錬したとか、神から神託を受けたとか、眉唾なものばかりであったが。 しかし、ある時から全く姿を見せなくなっていた。 これもまた、死んだだとか違う世界へ旅立っただとか噂は絶えなかった。 その中に一つの噂があった。 『彼は、刀を売り物にしていない。だから、相応しい相手が現れるのをずっと待ち続けている』 というものだった。 真偽の程は定かではないが、所詮はゴシップに近い話な上それ以上のものでもなかったので、いつしか人に忘れられ始めていた。 ただ、そんな彼は、自然をこよなく愛し、その息吹を刀に込めていたのだという。