戦乙女の軌跡 序章『白き護り手』 その日もいつもと同じように山へ入り、剣の修業をしていた。 ただ修行と言っても、剣を振るうだけが修行じゃない。岩場を駆け森を抜け水へ入り、体力と体幹を鍛えるのだ。 師匠でもあるお父様が言った。 「剣を振るうのに必要なのは、支える体力、崩れぬ体幹、恐れぬ勇気、そして最後まで諦めない信念を持つことだ」 体力も体幹も、勇気もわかる。でも、諦めない信念とは何だろう… 今の私には、恐れぬ勇気と諦めない信念の違いが、良く分からなかった。 だから、まずは出来る事からやろうと想い、基礎体力とバランスを鍛えているのだ。 「ふぅ…」 火照った体を水に入り冷やす。そのまま漂うように休憩しつつ、思いを馳せる。 お父様は、私が物心ついた頃から剣を教えてくれる。 別にそれが嫌なわけではない。いざという時の護衛術にも役立つだろうし、体力もあって困るものじゃない。 ただ最近気づいたのだが、教わっているのはどうやら護衛術ではなく、実戦向けの剣術のようだった。 確かに、戦という程の物でもないが戦いは未だどこかしこで続いてはいる。 でもそれは、私のような山民が参加するようなものではない。 ではなぜ、護衛術ではなく剣術なのだろう。 水で頭を冷やしても、答えは出なかった。 「…あ、もう陽が沈み始めてる」 ふと空を見ると、先程まで青かった世界が朱に染まり始めていた。 なめし革の靴を履き、再び森を抜ける。夜になると凶暴な獣も出るし、急いで帰ろう。 「ただいま戻りました」 既に煙突から炊煙が上がっていた我が家へ入る。まだ春を望めぬ空気に冷やされた体が、暖炉の火で暖められる。 「…ああ、おかえり」 何かあったのか、やや緊張しているような面持ちのお父様。こんな顔を見たのは初めてだ。 「何か…あったのですか?」 食事の手伝いをしつつ何気なく聴いてみた。 「………」 だが、思った以上の反応だった。スープをかき混ぜる手がほんの数秒完全に止まった。 「…まずは、食事を済ませようか」 やや思いつめたような表情で、再び手を動かし始める。 疑問に思いつつもそれに従った。 「なんだか、今日は豪勢ですね」 いつもはパンにスープ、それに野菜の盛り合わせがある程度の食卓。今日はそれに加えて肉の焼いたものがあった。 「なんだ、忘れていたのか。今日はお前の、14歳の誕生日だぞ」 スープを口に運ぶ手が止まった。そう言えば、言われてみれば。 「完全に…忘れていました。それでだったんですね」 「と言っても、この程度しか出来ないがな…ああ、村の子がパンケーキを届けてくれたぞ」 山の麓にある小さな村。時折食料や日用品を調達に降りるのだが、その時に村の子達と仲良くなった。 時々一緒にパンを焼いたり花環を作ったりしている。…余り上手くは出来ないけど。 その子達が私の誕生日を覚えていてくれたらしい。 何だか、無性に嬉しかった。 「こういうのも、悪くないですね…」 「…そうだな」 自然と頬が緩んだ。今度、何かお礼をしに行こう。 そうして食事が進んだのだが、お父様は相変わらず硬い表情のままだった。 「…シャノン」 もう少しで食べ終わろうと言う所で、お父様が口を開いた。 「はい」 その、いつも笑顔を絶やさないお父様の真面目な表情に、少し気圧された。 「お前に、大事な話がある」 「…はい」 手にしたスプーンを置き、居住まいを正す。 「………」 切り口を考えてでも居るのか、そのまま少しの間沈黙が流れる。 そして、軽く頷くとゆっくりと口を開いた。 「…お前は、俺の子供ではない」 「………はい?」 後にして思うと、ひどく間の抜けた顔をしていたのだろうなと思う。それ程に想定外な言葉だった。 「お前の本当の名前はな、"シャノン=シャリオール=シアルフィ"。グランベル王国シアルフィ王家の…姫だ」 正直、気でも触れたかと思った。突拍子がないにも程がある上に、現実味が全くなかった。 「何の冗談です…?」 冗談にしては真面目すぎる表情のお父様だったが、そう思わずにはいられなかった。 「冗談じゃない。13年前王国で内乱が起こった時に、前国王セリスが俺にお前を託したんだ。まだ幼子だったお前を戦乱に巻き込むわけにはいかないと言ってな」 「ま、待って下さい。そんな……え?」 思わず立ち上がり声を荒げる。とてもふざけているようには見えない様子に、戸惑うばかりだった。 「いきなりで驚いてるだろうが、事実だ。今、その証を見せよう」 そう言って立ち上がり、奥の部屋へと入っていった。 私が…王族?姫?過去に起こった戦乱を収めた英雄と名高いセリス王の娘…? とても整理しきれるものではない。 混乱して挙動不審になっている私の前に、気がついたらお父様が立っていた。その手には見たことのない大剣が握られていた。 「それは…?」 「聖剣ティルフィング…代々シアルフィ家当主が受け継いできた、十二聖戦士の武器だ。…手に取ってみろ」 言いつつ、剣を差し出す。考えが追いつかず真っ白になっていた頭のまま、それを受け取る。 握った瞬間、なんとも言えない感覚が全身を駆け巡った。 温かいような、懐かしいような…そして、妙に、手に馴染んでいた。 そしてふと気づくと、剣自体が淡い蒼光を纏っていた。 「これはな、聖騎士バルドの血を引くものでなければ、内に眠る魔力を引き出すことが出来ないんだ。つまり…そういうことだ」 「………」 手にした剣を見つめる。そのまま納得してしまいそうになるほど、感触が、そして全身を巡る魔力が、馴染んでいた。 「1年前、現国王のエクス…お前の兄に当たる人物が、それを持って来たんだ。戦で腕をやられたらしく、剣を振るえなくなったのと…その剣を狙う輩が居るらしいという情報を得て、俺に預けに来たんだ。シャノンが、心身共に立派な剣士に育った時、真実とともに渡して欲しいと言ってな」 未だ信じることは出来なかったが、事実として認識はできた…と思う。 「…グランベル王国といえば…」 そして、ふと思い出した。 「今、各地で内乱が起こっているとか…」 「…ああ。元を正すと、領主同士の小競り合いだったみたいだがな。それに色々な勢力が混ざり合って、混乱を招いたんだろう。正直エクスも手に余っているようだ」 「………」 「…いつか、国が安定したら必ずお前を迎えに来ると、言っていたよ」 そう言って頭を撫でる。大きな温かい手が、心地よかった。 「遺伝なのかな…お前の剣の腕は、同い年の頃のセリスにも劣らないよ。方向性は違うがな…だからこそ、真実を話す決意が出来たんだが」 「そ、そんな…まだまだ未熟ですよ。お父様にも、まだ一撃も打ち込んだことありませんし」 撫で回される手を解きつつ応える。 「さすがにまだ抜かれちゃ困るな…これでも歴戦の勇士って奴なんだぞ?」 「そういえば…お父様の昔話は聞いたことがありません…」 ようやく落ち着いてきた気がした。そのおかげか、そんな事を思い出した。 「ん…ああ、そうだったか…?」 食卓に戻りつつ、首をかしげる。私も、ひとまず剣を横に置き席に戻った。 「俺は、セリスと一緒に戦っていたんだよ」 「えっ…セリス様と、という事は…あの聖戦を戦っていたのですか?!」 私が生まれる前に起こった、大陸全土を巻き込んだ大きな戦乱。邪神を崇める暗黒教団が裏で手を引き各地に混乱を巻き起こしたという。それが、セリス様の父シグルド様の代に起きた。 シグルド様は友人であったレンスター王国の王子や、志を共にした仲間とともに混乱を収めようと奮戦するも、反逆者の汚名を着せられ、ついには謀殺される。 その後に立ち上がったのが、セリス様だった。 セリス様も父と同じく仲間と共に各地を周り、最後には悪を打ち滅ぼし大陸に平和を取り戻したという。 そして元々王家の血を引いていたらしく、そのままグランベル王国の国王として即位した。 これが、つい16年前に集結した聖戦の内容である。 その聖戦にお父様が参戦していたなんて…驚きとともに納得もしていた。 剣の稽古をしている時、一分の隙もない構えに放たれる威圧感。とても並の剣士とは思えなかった。 「元々セリスとは同じ村の育ちだったんだよ。お前と同じように、赤子だった頃にオイフェさん…シグルド様の腹心に預けられて、とある村で匿われてたんだ。そこで、セリスや妹のラクチェと一緒に剣の修業に励んだもんだ」 「ラクチェ様って…イザーク王国のお妃様じゃないですか…」 再び、頭の中が混乱してきた。まさか、自分の父親がそんな経歴を持っていたなど、笑い話にもなりやしない。 「あいつシャナンに心底惚れてたからな…っと、話が何かそれてきたな」 「…今日は、なんだかもう頭がぐちゃぐちゃです…」 「まぁ…今すぐどうこうって話じゃないんだ。ゆっくり、気持ちを落ち着かせてくれ…すまなかったな」 「…?」 「今まで黙っていたことさ」 「…それは、仕方ありません。内容が内容ですからね…」 そう言って残っていたスープを口に運ぶ。すっかり冷めていたが、美味しかった。 そんな中、密かに心に決めたことがあった。 朝露が滴る早朝。 外套を身にまとい、袋には食料を詰め、背には聖剣を背負った。これで、準備は整った。 昨日の話を聴いて、一晩中考えて決めた事だった。 正直、現在兄が困っているというのなら、助けになりたかった。 自分にどれだけの事が出来るかなんてわからなかったけど、居ても立ってもいられなくなっていた。 まだ寝てるであろうお父様の部屋へ一礼、テーブルの上に書き置きを残し家を出た。 「…どこに、行くんだ」 そこで、お父様に見つかった。手には剣を持っていた。運動がてら修行でもしていたのだろうか。 何にせよ、間の悪い事だと思った。 「…バーハラへ、行きます」 グランベル王国王都バーハラ。そこに、困っている兄が居るはずだった。 「行ってどうする気だ」 「お兄様の力に…なりたいと想います」 決意を込めた視線を以って対する。 「今のお前が行って何が出来るって言うんだ。馬鹿なこと言ってないで薪割りでもしてくれ」 「馬鹿なことってなんですか! だって、お兄様が…家族が困ってるというのなら、助けになりたいと思うのは当然でしょう?!」 つい憤ってしまい言葉が乱暴なものになってしまったのも構わずに、思いの丈をぶつけた。 「昨日の話はまだ信じ切れませんが…本当だとするのなら、王族である私にも国のために動く義務がありま――」 乾いた音がした。 少しずつ痛みと共に痺れを伴ってきた頬の感覚が、お父様に叩かれたのだと教えてくれた。 「馬鹿野郎!お前、昨日の話をちゃんと聴いていなかったのか?!」 「………」 頬に手をあてつつ呆然とお父様を見つめる。 ここまで怒っているのは、小さい頃村の子と一緒にふざけていて川に落ちた時以来だな、などとぼんやり思いながら。 「エクスは、国が安定したらお前を迎えに来るって言ったんだ。つまり、お前を今の混乱には巻き込みたくないって事だよ」 「で、ですが…」 「お前の身を案じながら、一人で戦っているあいつの想いがどれほどのものか、考えてみろ」 「………」 そう言われては、二の句はもう継げなかった。 「お前の気持ちは痛いほどにわかる…俺も昔似たような事があったからな。その時諭してくれた人の気持も、今分かった気がするよ…」 そして、ふと優しい表情になり、私を抱きしめた。 「俺だってお前が大事なんだよ…実の子供じゃないとしても、育っていくお前を見て、本当の娘の様に思ってきたんだ…」 「お父様…」 「そんな…可愛い俺の娘を、どうして危険な所へ送り出せる…」 そう言ってきつく抱きしめる腕が少し苦しかったが、胸には熱い何かが広がっていた。 「…わかりました………わかりましたから…く、苦しいです」 恥ずかしさのあまり、そんな言葉が口をついた。 「あ…ああ、すまない…」 解放されると共に俯く。きっと、今私は暖炉の火よりも真っ赤になっているだろうと思うほど、顔が火照っていた。 今まで育ててくれたお父様の愛の深さに触れて、逸っていた気持ちがどこかへ行ってしまっていた。 「……ごめんなさい」 「いや…いいんだ。叩いたりしてすまなかったな…痛くないか」 「はい、大丈夫です…」 そうして旅立ちは未遂に終わった。 あれから1年が過ぎた。 再び修行に明け暮れる日々が続いたが、一つだけ変わったことがあった。 持ち出す剣が、今までの物ではなく、聖剣になったことだ。 正直この剣は私には大きすぎて、振り回すのには相当の修練が必要だった。 今までにも増して体力と体幹を鍛える事に重点を置き、剣に振り回されないように頑張った。 その甲斐あってか大分まともに振るえるようになったのではないかと思う。お父様との稽古の時にも、遅れずに立ち回れてはいる。 そして今日も、剣を背に山の中を進んでいた。 そういえば今日は私の15歳の誕生日だ。1年前に衝撃の真実を告げられたのも、今はもう懐かしくさえ想える。 未だに安定しない国の中お兄様が頑張っていると思うと、胸の中がもやもやする。 だが、あの日お父様に言われた言葉と、受け取った愛情を思い出し歩を進める。 今日も、晩には肉でも出てくるのだろうか。村の子達は今年も覚えていてくれているだろうか。 そんな事を思いつつ木々の間を抜けていると、ふと先の方で輝く何かがあるのを見つけた。 「これは…扉……門?どうしてこんな所へ…」 それは、黄金に輝く大きな門だった。周りの緑に囲まれた中にあり、相当の異彩を放っていた。 立ち尽くし見ていると、静かに、音もなくゆっくりと開いた。 門のその先には、何も見えなかった。 ただ、声がした気がした。 その声に呼ばれたのか、他の何かがあったのか。それは今でもわからない。 ただ、何かに導かれるように、私は門の中へと足を踏み入れていた。 そこで、今度ははっきりと声を聞いた。 『ほほう…これは、これは…… 孵りましたか英雄の卵が。生まれましたか英雄の雛が。 ようこそシャノン――争い廻るこの世界――ブリアティルトへ』