〜巣立ち〜 冬の空気が息を白く染め、景色を輝かせていた。 大気が冷却されるおかげで夏場よりも物がよく見える。 「わっ…」 だが、見えるからといって反応しきれるかと言うのはまた別の問題であった。 「コトリさん。貴女は目が良いのですから、無理に受けようとしない方がいいでしょう」 巡る大河亭の裏庭で、剣を弾かれ手を押さえているコトリを見やり、サツキが言う。 「体捌きは申し分ありません。ですので、受けるより流したほうが良いでしょう」 手にした剣を鞘に収め、コトリに手を差し出す。 「ありがとうございます、サツキ先生……っと。 …うーん。まだまだです…」 口ぶりは決して明るい物ではなかったが、別に沈んでいるわけではなく、既に先を考えているせいだった。 「…コトリさん」 その姿を少しの間見つめていたが、何か意を決したように口を開いた。 「はいっ」 すかさず元気な返事が飛んでくる。 それにやや頬をほころばせつつ、 「ついてきてください」 そのまま自室へと誘った。 「これは…」 サツキの部屋に入り、一振りの剣を手渡された。 「今の貴女に丁度良いサイズかと想います。抜いてご覧なさい」 言われるままに抜き眺めてみる。 それは刃渡り60cmほどの、ブロードソードよりもやや短めで、鍔の部分も最低限のあつらえで出来ていた。 刃先から眺めていくと、ふと鍔の部分で目が止まる。 そこにはひとつの紋章が刻まれていた。 「サツキ先生…これは」 「貴女もよく知っていますね。そう、竜舌騎士団の紋です」 竜頭に二本の剣が交差した紋章。ヴァルトリエ帝国においてその名を馳せる騎士団の紋だった。 「以前サツキ先生が所属していた所ですよね?」 「ええ。とある縁で、騎士団を抜ける時に餞別として頂いたものです。銘を"翡翠(かわせみ)”と言います」 「え、そ、そんな大事な物をっ」 何か貴重品を持たされたように慌てるコトリ。 そんな姿に、ほほ笑みで応える。 「いいんです。使って下さい。その方が剣も喜びます」 「で、でも……」 「コトリさん」 ふいに真面目な表情になり見据える。 それは剣を指導している時の"先生”の顔だった。 「あ、はいっ」 長年従ってきた身として、ほぼ条件反射で直立する。 「…今までよく頑張りましたね。それは、卒業の証です」 「…………えっ?」 鳩が豆鉄砲を喰らったようだ。 「勿論、貴女はまだまだ未熟な身です。 …ですが、それは私とて同じ事。貴女のさらなる成長を求めるならば…後は実戦です」 頭の整理が追いつかないのか、ただ呆然と言葉を聴いている。 だがサツキは先を続けた。 「貴女も今年で14。年齢で言うなら初陣を迎えていてもおかしくはありません。ですが…」 少し目を細める。 「ここから先は、貴女自身が決める事です」 「えっ……」 「あの時、私が貴女を引き取り育ててきましたが…貴女の親代わりとして私が出来るのは、ここまでです」 その言葉の裏にどのような想いがあったのか。サツキの表情は同じく変わらなかった。 「この先どうするかは、貴女自身がお決めなさい。別に、ここに残るでも構いませんし、外に出るも良いでしょう」 実は、コトリが以前からとある傭兵団に興味を示していたのをサツキは知っていた。 だがあくまで自身に道を定めさせるため、あえて触れなかった。 しばし呆けていたコトリであったが、しかして、サツキの予想通りの表情と言葉を返してきた。 「…私、行きたい所があるんです」 決意と期待と、不安がないまぜになったような、ともすれば今にも泣き出しそうな表情で言う。 「あの、私と同い年くらいの人達が居て、中には英雄とまで呼ばれるような活躍をしたっていう人も居て…」 「その、名前は?」 その名は。 「傭兵団…フェザーメイデンです!」 コトリが言うのが誰を指しているかも良く知っていた。 幾多の戦場で、時には相対を、時には肩を並べて戦った少女だった。 「良く考えての、選択ですね?」 「はいっ!」 「ならば、私は何も言いません。精一杯、頑張るのですよ」 「はいっ!」 この小さい体で、色々考えてきたのだろう。 今でこそ実の親のように懐いてくれているが、最初は苦労をしたものだ。 今までの事を想い、気がついたらその小さな身体を抱きしめていた。 「…身体には、気をつけるのですよ」 「サツキ…おばさま……」 コトリも、目いっぱいに抱き返した。 しばらくそうしていたが、不意にサツキが扉の方を見やり、 「ミィズィフィルさん。フィントさん。入っておいでなさい」 先ほどから待機していた2人に声をかけた。 「コトリーーーっ!」 言うやいなや、勢い良く扉が開き太陽のような輝きを持った髪をなびかせミィズィフィルが飛び込んできた。 「あ…失礼、します」 その後から、フィントが礼儀正しく入室する。 「お姉ちゃんは寂しいぞー!」 襲いかかるかの勢いでコトリを抱きしめ頬ずりの嵐を浴びせかける。 「ミ、ミィお姉ちゃん落ち着いてっ」 「ミィ、コトリが苦しそうだよ…」 「みゅっ」 2人?に窘められしぶしぶ顔を離す。しかし回した手はそのままであった。 「えーだって妹が居なくなっちゃうんだもん〜にぃには寂しくないのっ」 言いつつ頬を膨らませる姿は、どちらが上かわからなかった。 「勿論寂しいけど、コトリが頑張って考えた末だろうから…ユーシェ」 「みゅん!」 その手に抱えていた包を、コトリの肩に乗り渡すユーシェ。 「これは…」 その頭を撫でつつ、中身を改める。 中には色と形とりどりの髪留めが入っていた。 「僕からの贈り物。頑張るんだよ」 「フィントお兄ちゃん…」 それを見て慌てて腰のポーチから包を取り出すミィズィフィル。 「お姉ちゃんからはこれだっ」 高らかに掲げられたそれは、宝石を中心に抱いたリボンの髪留めだった。 「でも髪留めはにぃにのがあるから…これはここに…」 言いつつ、コトリの胸元に器用に留める。 「うん。かわいーかわいー」 フィントの髪留めもつけてやり、そのまま頭を撫で回す。 「お姉ちゃん、お兄ちゃん……ありがとうっ」 目端に涙を浮かべ、満面の笑みを"家族”に贈った。 そうして、日が経ちコトリが旅立った日の夜。 自室にて一人紅茶を前に目を閉じているサツキが居た。 「…見ていますか?あの子は、健やかに育ちましたよ」 相手は居なかった。否、閉じた瞼にその姿が写っていた。 「私は…あの子にどれほどの事が出来たのでしょうね…」 つと、ほのかに湯気をあげる紅茶に視線を落とす。 「……立派に、成長するのですよ」 それは、雛の巣立ちを見守る親鳥の顔であった。