太陽と月のワルツ 嗚呼。 空はこんなに青いのに。風はこんなに暖かいのに。太陽はとっても明るいのに。 どうしてこんなにお腹が減るのか… オーラムとマッカを隔てる国境。 明確な境界線が無い代わりに、まばらな木々と南北に伸びる砂まじりの街道。そして照りつける太陽。 その街道沿いに関所と並ぶようにひとつの宿場町があった。 央国と連邦を行き来する旅人や関所の役人を対象とした宿や酒場、それに両国を行き交う交易品で成り立っている。 そんな宿場町が視界に収められる程度の距離。街道脇の砂地に横たわる一人の少女が居た。 「あー…おなか、すいたぁ……」 乾いた風と共に空腹を告げる音が流れていく。 彼女の名はアムリタ。連邦において傭兵を稼業としている少女である。 彼女が今大地に伏しているのには理由があった。 所用で央国へ出掛けたその帰り道に、事件は起きた。 「お小遣い貰って、調子に乗りすぎたかな…」 そう、路銀が尽きたのだ。 用事を済ませ貰った報酬は決して少なくない額だったが、さすがは大陸中央に栄える大国。 口に入れるもの舌に触れるもの全てが美味しかった。 通りの半ばまでは、漂ってくる香りも我慢して歩いていた記憶はある。 しかし、通りを過ぎた時には妙に楽しい気持ちと両腕に抱えた大量の食べ物があった。 世の中不思議がいっぱいである。 そんな経緯を経て、なるべくしてなった状況が今だ。 「うー…どうしよっかなぁ……」 町にたどり着いたとてお金はない。というか、重度の空腹で動くのもつらい。 アムリタがプライドと現実を天秤に掛け、近くに生えている緑色のものを眺めていた時。 憎らしいほど輝いていた陽光を遮り影が差した。 「……」 それは、年季の入った旅装束に身を包み、腰に剣を帯びた銀髪の少女だった。 別段アムリタに近寄った訳ではなく、単に街道脇に転がっていた横に立った結果として陽の光を遮っただけのようだ。 光を背にしていて頭から被ったローブの中は良く見えなかったが、その瞳が発する鋭い視線は感じ取ることが出来た。 「…何してるの」 アムリタの姿に動じることもなく呟くように言う。 抑揚のあまり無いその声は、透き通りつつも暗い、相反する印象を内包していた。 その声に惹かれて、というよりも何故か気になり頭を持ち上げるアムリタ。 「やー…あはは。おなかすいて元気出ないんだけど、手持ちのお金尽きてしまいまして…」 改めて口にすると中々にダメージが大きいのを認識しつつ、力なく笑う。 「…ふぅん」 それを興味なさげに眺めている通りすがりの少女。 その視線は好意や善意ではなく、しかして悪意や害意なわけでもなく。単に視界に入ったので気になっただけ、というのを如実に告げていた。 「…まだ動けるのなら、」 その少女はちらりと宿場町を見やり、 「ご飯くらいなら奢ってあげてもいいけど」 相変わらず抑揚の少ない調子でそう言った。 それは少女にとってはほんの気まぐれであったのだろう。 だが、アムリタにとっては天啓に等しい響きを孕んでいた。我、神を見つけたり。 「え、おー………ほんとですか?」 しかし如何に空腹で思考が鈍っていようとも、物事の確認を怠るようでは傭兵など務まらない。 「…別に、そのままでも構わないけど」 「お願いしますっ」 しかし如何に空腹で思考が鈍っていようとも、チャンスをフイにするようでは傭兵など務まらない。 今までの倦怠感はどこへ行ったのか、弾かれるように飛び起き少女の手を握った。 「思ったより元気だね…まあいいけど」 振り払うでも握るでもなく、身を翻すままに手を引かれる。 アムリタも別段気にすることもなく、自然と手を離し横に並んだ。 「っはー……美味しいぃ…」 一階が食事処として開放されていた宿屋にて食事を取る2人。 久方ぶりにしっかりとした食事を取ったアムリタは、何はともあれ人心地つく事ができた。 「…よくそんなに食べられるね」 隣の席でスープを啜りつつ、視線だけを向ける。 その先には、既に空になった皿が何枚かあり、さらにまだ手のついてない皿が同数あった。 「はっ、あ、ごめんなさい!つい勢いでいっぱい頼んじゃった…!」 「それは別にいいけど…お金ならあるし」 「うぅ、ありがとうございます〜……そういえば今更なんだけどさ。お互い自己紹介もまだでしたよね」 そう言って座ったままローブの少女の方へ向き直る。 「あたし、アムリタ!今はマッカで傭兵やってるんだ。よろしくです!」 言って笑顔になり、求めるように手を差し出した。 「……リルフィ。リリィでいいよ」 その手を少しの間見て、軽く息を吐きながら言いその手に自らの手を重ねた。 「リリィ、リリィか。うん、いいね。可愛い!」 重ねられた手を握り、嬉しそうに上下に振る。 「ね、ね。多分年も近いだろうし、これも何かの縁だしさ…このまま友達になりませんか?」 そう言うアムリタの瞳は、真っ直ぐに澄んだものだった。 向けられた視線に目を細め、その瞳の中の何かを見るように見つめ返す。 その表情は、羨望のようであり、また哀愁のようでもあった。 「………」 問いに返すでもなくただ見つめ返すリリィの視線に、漠然とした不安のようなものを感じた。 「……ダメ、かな?」 我慢できなくなりやや伺うように上目で尋ねてみる。 それに対し目を伏せると、 「…私は、つまらないよ」 静かにそう言った。 「私も傭兵の依頼を受ける時があるから、役に立てる時はあるかもしれないけど…普通で言う"友達"としての期待には、応えられないと思う」 感情を露わにするでもなく、淡々と述べていく。 そこにどんな想いが込められていたかはわからない。だが、アムリタの直感とも言うべき部分が告げていた。 この手を離してはならない、と。 後にして想うと、この時感じていた不安のようなものは、ある種の忌避感であったと言える。 だが今はそんな事がわかるはずもなく。ただ、その深く沈んだ瞳の中に見えた光の欠片を追いかけてみたかったのだ。 だから。 「大丈夫!うん、上手く言えないんだけど…きっと大丈夫!あたし達仲良くなれるよ!」 だから、"そんなものよりも"。 自分の、何かが始まりそうな期待に高鳴る胸の鼓動を信じてみようと思った。 「……」 そんなアムリタを見て、きょとんとした顔になるリリィ。 次いで、軽く吹き出し微笑んだ。 「何それ…全然根拠がないよ」 「あっ笑った。会ってから初めて笑ったね!」 微笑んだリリィの顔を見て妙に嬉しくなった。そして、確信に似た何かを得た。 自分たちは、良い友人になれると。 「じゃあ決まり!これからよろしくね、リリィ!」 「…強引だね」 そして、改めて手を握りしめる。 それを見ていた宿屋の主人が涙ぐんでいたのは余談である。 「そういえばリリィはこれからどこに向かうの?」 「ん…特に目的があるわけじゃないんだけど……とりあえずアティルトの方、かな」 言いつつ視線を北に向ける。 「そっかー逆方向だ。残念」 「……まあ、言ったとおり目的があるわけじゃないから。別にマッカの方に戻っても良いけど」 「本当?いいの?!」 「今は何も依頼を受けてないからね…この町でも物を運ぶ仕事くらいはあるだろうし」 アムリタに視線だけは残しつつ、食事に戻る。 「あーそっか。そういうのもあるかー。ついでだし私もそれやろうかな」 「ていうか、そういう風に繋いでおけばお金にも困らなかったんじゃないの」 「あー、あはは」 そう言われては笑って誤魔化すしか無かった。 「あ、そうだ。ねえねえ、友達になった記念に何かお揃いの物とか持ったりしない?これが友情の証だーみたいな」 「それは別に構わないけど…アムリタ、今お金無いんじゃないの」 「あ、しまったー」 不意に名前を呼ばれ妙な嬉しさを感じつつ、額をぺしりと叩く。 「…何でもいいなら」 何かを思い出すようにそう前置きをして、 「服…とかは?」 首から上だけをアムリタの方へ向け問いかけた。 「え゛っ、服。で、でもお高いんじゃないかな…」 思わぬ言葉に冷や汗が一筋伝った。正直に言うと、安っぽいアクセサリーか何かを想定していたのだ。 「知り合いに趣味で服を作ってるのが居て、丁度今マッカに居るはずだから…言えばタダで作ってくれると思うよ」 「マジですか」 本日2人目となる神を見つけた。 「大陸一の服飾職人を目指してるんだって…だから、服を作るのはそのための修行なんだって言ってたよ」 「はー…何だかすごいね」 「だから…アムリタが嫌じゃなければそれでどうかな、って」 やや伺うような視線を飛ばすリリィ。 その表情は、始めに会った時に比べると随分柔らかいものだった。 このリリィという少女は、思った以上に根っこは良い子なのではないだろうか。 などと思いつつ、勢い任せに首を縦に振る。 「ううん、全っ然嫌じゃないよ!ていうか、本当に良いならお願いしたい!」 むしろ叶ったりである。服などという高級品を手に入れる機会など、そうあるものではない。 「そう…じゃあ、そういう事で」 言って、再び静かに微笑む。 「えへへ、楽しみー」 嬉しいような誇らしいような、とにかく上機嫌になりアムリタも食事を再開した。 そして約束通りマッカにてお揃いの服を手に入れた2人。 その後、アムリタは自らの部隊へ戻り、リリィは再び依頼を受けて別の地へと旅立った。 「また一緒にご飯食べたりしようね!」 「今度は、私が奢ってもらえるのかな」 「ぅぐ、が、頑張る!」 「ふふ…期待はしないで……でも、楽しみにしてるよ」 「…うん!」 それは一瞬の邂逅であったのかもしれない。 だが、口にはしなかったが互いに確信めいたものを胸に秘めていた。 願わくば、遠くない未来に再び道が交わりますように。